保育士を辞めた後の私は、焦っていました。
これからどうやって生きて行けばいいのだろう、と思って。

突然リストラにあって辞めた、というわけではなく、
辞めることを決めてから、実際やめるまで数か月の猶予があったけれど、
次のことは何も考えていませんでした。

少し休んで、旅行に行ったあと、すぐにパソコン教室に行っていたんです。
16年間保育士しかしたことがなくて、聞こえなくてもできる仕事っていったら
事務くらいしかないのかな、そうするとパソコンは使えなくちゃいけないから、
習っておこう、って、今では考えられないくらい、つまらないことをやっていました。

そんなことをしながら、これからどうしよう・・・ということを友達に話していた時、
彼は東京に住んでいたので、「東京に来ればいいじゃん」と言ったんです。
きっと軽い気持ちです。

それなのに私は、すぐにそれがいいかも!って思ったんです。
仕事を辞めたんだから、ここにいる必要もなく、新しいことを始めるのには、
環境を新しくすることがいいんじゃないか、って思いました。

親は大反対しました。
聞こえないことで仕事を辞めさせられたから、かわいそうに、って、
もう私たちが養ってあげるから、って言ってました。
でも私は親に養ってもらうんじゃなくて、自分で新しい道に進みたかったんです。
父親は「聞こえないのに、一人で東京で暮らせるはずがない」って言いました。
勘当寸前でした。

勘当されてもいいから行っちゃおうって思いました。
でもふと、それじゃだめだって思って、自分の気持ちを素直に手紙に書きました。
そうしたらわかってくれたんです。

そうしてまずは住むところを探して、働いていないので難しかったけれど、
なんとか見つかり、仕事もほとんど就職活動をしなくても決まりました。
辞めてからそこまで、3か月もたってません。

そのとき初めて大きな決断を直観にしたがってしたと思います。
両親を説得するのも難しいと思い、住むところや仕事を見つけるのも難しいと
思ったけれど、どうしても東京に行きたいと思ったから、とにかくそのとき
やれることをやったんです。
そうしたら道が開きました。
そう、ただやることをやっただけでした。
行きたいからと、祈っていただけではなかったんです。


仕事は初めて、「障がい者枠」というので入りました。
そのため、「聞こえないこと」については配慮もしてもらえました。
手話も周りの同僚が覚えてくれて、上司も話すように筆談してくれました。

よく聞こえない人たちが「職場での理解がない」
「みんなと話すことができなくて、孤独でさみしい」と言っていましたが、
私はそういうことは全くありませんでした。

最初からみんなと楽しく話をすることもできて、プライベートで遊びに行くことも
よくありました。

東京の生活もとても楽しくて、私はおしゃれや雑貨が大好きなので、
好きなものに囲まれた生活ができることにとても満足していました。

でも仕事の内容は、とても退屈で、もちろん経験がないから、重要な仕事は
任されないし、暇な時間が多くて、それが逆にストレスになったりしました。

人間関係はとても楽しいけれど、それ以外は期待していたものとは
大きく違っていました。

保育士の仕事は毎日とても忙しく、息つく暇もないくらいで、
家に帰ってからも、週末も書類の仕事があります。
定時内で終わらないし、残業もしてはいけないからです。

それに私は子どもが大好きで、心と心の交流をしながら仕事をしていたころと比べると、
パソコン相手の数字を追うだけの仕事は退屈に感じてしまうのです。

それでも思いました。
仕事にやりがいを見出すのはやめよう。
保育士を辞めて、新しくやり直すのだから、仕事は生活のためのもの、
休日は自分の好きなことをすればいいじゃない、
多くの人はそうやって仕事をしているのだから、私もそうすればいいんだよって。

いろんなことをやったりもしました。
絵を習ったり、エッセイを書く教室に行ったり、絵本を作る教室、
ヨガも、アートセラピーも習いました。
聞こえないと習い事をするのは敷居が高いのだけれど、
それでもやりたいことにいろいろ挑戦したりしました。

それでも私の心は埋まらなくて、ストレスが溜まって過呼吸になり、
会社を休むことにもなりました。

そのころ、思ったんです。
どうして私の人生はこうもうまくいかないんだろう、
聞こえなくなって保育士をやめなきゃいけなくなって、
それでも次に進もうとがんばっているのに、うまくいかないなんて、
なんで!なんで!って。

それが私の目に見えない世界に進むきっかけになりました。



~続きます~
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