聞こえないことについて書こうと思って、①~⑤まで書いてきて、
こんなに長く書くつもりじゃなかったのにな、
でもまだこれで半分くらいかな、これからは移住してからのことを書くぞ!
って思っていたんだけれど、今まで書いてきたことが、
「あれ?今までのこと、本当に私に起こったことなのかな?」って思えてきたんです。

書いているときは、鮮明に思い出せて、
「私まだこのこと覚えているんだ」って思って、覚えてるってことは、
まだ私の中で手放せていないのかな・・・って思っていたんだけれど、
書いたことで、その記憶が逆に薄れていっているというか、
手のひらから砂がさらさらとこぼれていくような感じで、
書いたときの鮮明さがなくなっていくんです。

あれは本当に起こったことなのか、それともただの記憶なのか・・・
そう思っていたら、「私には今しかない」、
「今ここにいる私だけが私なんだ」と思えてきました。

私は過去からいろんな経験をして、それを積み重ねて今の私がある、って
ことを書きたかったんだけれど、実は積み重ねてここにいるのではなくて、
ただ「こうなりたい!」って思ったから、ここにいるのかもしれないな、って
思ったんです。
パラレルワールドに移行したってことなのかなぁ。

だから今は、⑤の続き、移住してからのことを書く気がなくなってしまったので、
このタイトル「マイノリティと呼ばれること」っていうテーマにした意味を
書いてみたいと思います。

マイノリティと呼ばれる人たち、
例えば障害者、LGBT、ホームレス、在日外国人などなど、
社会的弱者とも呼ばれるかもしれない人たち。

もう、そういう枠に入れないでほしいな、って思うの。
そういう枠に入れられるから、どんどん差別が起こって、
周りも当事者もお互い分かり合えない、って思って、
ますます、差は広がっていくんじゃないかなって思います。

例えば、聞こえない人たちの例をとると、
聞こえない人同士で固まることが多いですよね。
コミュニケーションが楽だし、同じ障害を持った者同士、気持ちが分かり合えると思うのは、
その通りだと思います。

私が初めて聞こえない人の集いに行って、私と同じくらいの年齢の方たちが
補聴器を着けて、みんな楽しそうにしていて、死にたいとさえ思っていた私が、
「聞こえなくても楽しく生きていけるんだ!」って
勇気をもらったことは事実で、そこから本当に救われていったんだけれど、
でも聞こえない仲間といるときは楽しくて幸せだけれど、
そこから離れて職場に行ったら困ることがいっぱいで、不幸、ってなったら、
それでいいのかな、って思っちゃう。

例えば、仕事は普通の人は、週5日8時間くらい働いて、
週末に仲間と会って、ストレス発散して、っていう生活でいいの?って。

毎日毎日幸せになりたくないの?って思う。

同じ悩みを持つ人たちが集まって、「周りの聞こえる人たちはわかってくれない」
「どうしたら理解してくれるんだ」って話し合ったって、解決できるわけがないと思うんだよね。
その時点で被害者意識でいっぱいで、視野が、意識が狭くなっちゃってて、
いいアイディアや素敵な想像力が生まれるはずなんかないじゃない?

聞こえない人たちだけが集まるのが、もう不自然なんだと思う。
だって、この世界は、聞こえない人も、聞こえる人も、そのほかにいろんな人がいて、
みんなで支え合いながら、分かり合いながら、分かち合いながら、
生きていくものなんじゃないかなって思う。

もちろん今もそうやって、世界は成り立っているけれど、同じ障害を持つ人同士で
固まってちゃ、周りの人に理解はしてもらいにくいんじゃないかな。

団体じゃないと、行政などに要望が通らない、っていうけれど、
一人一人が自然にみんなの中に溶け込んでいたら、なんとかの制度、
なんていらなくて、自然に助け合うことができると思う。

そうやって、制度がなくても自然に助け合える社会であったら、
私のように突然聞こえなくなっても、一時的なショックはあっても、
聞こえないから生きていけないかも、って長い間絶望しなくて済むんじゃないかな。

私も最初は、知らない人や初めて会う人、知らない人ばかりの場所に行くことが
とても怖かった。
きっと話していることがわからないだろうから、楽しくないだろうし、
孤独になるんだろうな・・・って、知っている、安心していられる場所にしか
いたくなかったけれど、今は多くの人と出会うようになって、
人と出会うことが楽しくなった。
知らない場所にも、気後れすることなく、行くことができるようになった。

多くの人と出会って、刺激をもらえる、与える機会があるのに、
それをしないのは、もったいないし、自分のことしか考えていないってことにもならない?
だって、自分の影響力を、自分の持っているものを、他の人に与える機会を
サボってるってことじゃないかなって思う。

もちろん枠の中が安心なんだ、そこにいるのは自分の自由だし、
それが自分の生き方で自分らしいことなんだって言う人も
いると思うし、それもいいと思う。
でもほんとのほんとの自由な世界は、枠なんてないものだよね、って思う。
枠の中に入って、自分らしいってなんか違うって、私には思える。

だから私は、マイノリティ、なんて枠がなくなればいいのに、って思う。

そういうマイノリティの人って、私もそうだったけれど、周りの人の心無い言動に
傷ついて、心を病んだりする人も多いと思う。
マイノリティだからしょうがいない、損だ、って思うかもしれないけれど、
でも周りの言動って自分の中を映し出しているものにすぎないから、
自分が思っていることを、周りの人が言ったりやったりするだけなんだよね。
それで相手のせいで傷ついた、とかいうのは、ちょっと違うと思う。

私は「障害があるけれど、すごくがんばってるね」、って言われることがあるけれど、
でもその「障害があるけれど」を除いて、褒めてほしいな。
そして私自身も、聞こえる、聞こえない関係なく、この自分で生きることが楽しい!
って思うんだよね。



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