先週は、たまたま二つのクリスマス会に参加しました。

一つは、音楽会がメインのクリスマス会で、フィンランドから
本物の?サンタクロースもやってきました。

私は補聴器を着けても、音楽はメロディもがたがたにしか聞こえないので、
普段から進んで音楽は聞かないのですが、この前はカラオケも行ったし、
偶然に出会った音楽会などは喜んで出席します。

今回はクリスマスの音楽だから、知っている曲もあるだろうし、
聞こえていた時に聞いていた曲があれば、前もってわかっていたら思い出して、
私も楽しめるかも!と思って、一緒にいた友人に、もし知っている曲があれば、
教えてね、と伝えました。

そうしたら彼は、自分はあまり曲はわからないかも・・・と言って、
主催者の方に、わざわざ曲名を聞いてきてくれました。

そして次はこの曲だよ、とその都度教えてくれたので、
知っている曲だと、メロディもなんとなくわかったりして、楽しめました。

耳で聞こうとしても、補聴器を通しての音は、メロディは、がたがたで
きっと楽しめないだろうから、耳で聞く、というよりは、体で聞く、
音の波動を感じる、というように、
目を閉じていました。

そうしたら、感動で涙があとからあとからあふれてきました。
その音の波動を感じているだけでハートが広がっていったり、
「ああ、この曲、わかる!」とそれだけで感動したり、
様々な思いがあふれて、涙が止まらなかったのです。

それが聞こえない私の、音楽の聞き方、感じ方なんです。

耳で聞くのではなくて、全身で聞いている、感じている、
そんな感じです。

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オーラの中に、その音楽やそこから思い出される思い出、情景などが
入っていて、それをすべて感じている、というような感じで、
そういう私の聞き方は、感性がとても豊かで広がっていて、
聴覚という器官が損なわれたために、ほかの器官が豊かになったと
いうことだと思います。

その日の夜、友人が私に言ったんです。

「まりりんはすごいね」って。

まりりんは聞こえないから、どうやって聞いているのだろう、
まりりんの世界はどうなっているのだろう、と思って、
耳に(指で)栓をして、音を聞いていたりしていたんだ、って。

そして私がよく聞こえないのに、感動して涙を流しているのを見て、
聞こえる人たちは、耳で音楽を聴いて、楽しんで、それで終わってしまうけれど、
まりりんは、それ以上のことを受け取っているね、って。

そしてそうやって音楽を感じている姿を見て、「障害は個性だ」と思ったそう。

彼は、今障害を持った子どもたちと接することをしていて、
その親御さんと面談することもあり、子どもの障害をなかなか受け入れてくれない
親御さんもいて、どうしたら受け入れてもらえるだろう、
障害は個性だということを本で読むけれど、いまいちわからなかった、
でもまりりんの音楽の聞き方を見ていて、それがわかった気がする、って、
そうやって子供の障害を個性として、受け入れてくれたらいいのにな、
って言っていました。

私はそれを聞いて、確かに障害は個性かもしれない、
私は聴覚が損なわれているから、ほかの感覚が豊かになって、
音を耳で聞くのではなくて、体で感じることができて、
それは自分でも素晴らしいことだと思う、けれどもやっぱり聞こえていた時があるから、
耳であの美しい音楽を聞きたいっていう思いは決してなくならない。

ほかの感覚が豊かになってよかった、と思う一方で、
やっぱり耳で聞きたい、っていう気持ちはいつもあり、
自分の障害を受け入れることができるときもあれば、
それができないときもあって、それが自然なことじゃないかな、って思う。

そして、障害を持った本人、子どもが障害を持った親っていうのは、
受け入れたいけれど、受け入れられない葛藤はいつもあって、
それで苦しんでいると思う。
たぶん周りから、「受け入れなさい」っていつも言われていると思う。
そうして「受け入れられない自分はだめなんだ。ダメな親なんだ」って
自分を責めながら生きてる。
そうやって自分を責めて生きることは、とてもつらくて、余計に受け入れられることなんて
できなくなってしまう。
でも、「受け入れなくてもいいよ」って言ってもらえたら、ほっとして、
ほっとしたら、逆に自然に受け入れて行けるんじゃないかなって思うから、
どうか、「受け入れなさい」って言わないで、って伝えました。

そう、私も、そう話しながら、受け入れられるとき、受け入れられないときがあって、
どっちもあっていい、って思えたら、とても気持ちが楽になったんです。

受け入れても、受けいれなくてもどっちでもいい、
そう思うとほっとして、また前に進めそうな気がします。

もう一つのクリスマス会では、牧師さんの話があって、
ほとんど内容もわからないままそこにいたのだけれど、
ほんの少しだけ、「暴力じゃなくて、愛が大事なんだ」っていうことが
聞き取れました。

そうしたら、そこだけしかわからないのに、涙があふれて仕方がなくて、
私の感性は本当にこんなに豊かになって素晴らしい、って思いました。

そしてそれと同時に、みんなと同じようにわかったらもっといいのに、
っていう気持ちも捨てきれないんです。

そう思ったら、今度は悲しくなって泣けて仕方がなくて、
クリスマス会の最中、自分で自分をなぐさめていました。

私の感受性は素晴らしいよ、でもみんなと同じように話が聞きたいよね、
みんなと同じように楽しみたいよね、それができなくて本当につらいね、

って自分で自分をなぐさめていました。

しばらくそうやって、自分をなぐさめ、泣いていたら、
気持ちが楽になっていきました。

さあ、もう大丈夫!あとはみんなと一緒に楽しもう!って思えたんです。

いつもだと、自分だけわからないと、自己憐憫に浸ってしまって、
それを引きずって、一人ネガティブになったりしているんだけれど、
ちゃんと感じてあげたそのときには、すぐに気持ちを切り替えることができました。

誰にもわかってもらえなくても、自分がわかってあげれば、ちゃんとそのときの
感情を感じてあげればいいんだな、って改めて思いました。

今までは、障害を受け入れて、個性として受け止めていくことが
障害者としての?正しい生き方?みたいに思っていたのだけれど、
もうそんなことどうでもいい、正しいことなんて何もないし、
自分が感じるまま、受け入れてもいいし、受け入れなくてもいい、
そうやって、心のままに生きて行けたらいいな、って思いました。

そんなふうに思えたことも、感性が豊かになったってきたんだなって思います。


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