この記事 で書いた、絶望的な出来事を通して気づいたのは、
私にはまだまだたくさんの、信念・観念があるってことだったの。

それはもう必要ないもの。

自分が作り出したものではなくて、周りの世界、周りの人がそうしているから、
そう言っているから、ということから、自分の信念・観念になってしまっているものだった。

私に中にあったのは、

私は幸せになってはいけない
苦労をしなければ、幸せになれない
一生懸命がんばれば、ほしいものが出に入る

ってこんなことをまだ思っているらしかった。

そして世間一般的な幸せが私の幸せ、って思っていることもわかった。

それは前にもこういうことを私は思っているんだ、ってわかっていたときはあったけれど、
今は、そうだったんだ!って腑に落ちてわかった感じがする。

そんな信念があるんだから、私の人生はいつも苦しく、困難なことが起こるわけだよね。

だから自分に言ってあげたよ。

楽しいことして、楽してなんでも手に入れていいよ。

みんなと一緒じゃなくても、私だけの形があってもいいよ。

って。

そんなふうに、世の中一般の常識や理想のスタイル、なんかに自分を合わせて

一喜一憂して、こうならなければならない、じゃなくて、

自分はどう感じる?
自分はどうしたい?

っていうことにフォーカスすればいいんだな、って思った。

それは自分にフォーカスすることだけれど、逆に

自分から自由になる


ってことなんじゃないかな、って思って、

自由って、制限があって、そこから外れることが自由っていう一般的な意味があるけれど、
たいていは、外側からの、それは、仕事だったら雇われることからの自由、
住むところを一定の場所にしないで旅をして回ることの自由、
苦手な人と付き合わなくてもよくなる自由、などあるけれど、

本当の自由って、自分を縛っている、こうしなければ、という、
信念や観念を手放していくことかな、って思った。

だから仕事とか人間関係とか住まいとか、そういうものは全部外側のもので、
それを自由にしたところで、自分の中が信念・観念でがんじがらめになっていたら、
それは本当の自分とは言えないんじゃないかなって思った。

そういう信念・観念があるから、苦しくなって、
周りに対して、「自分」を主張しなければいけなくなるけれど、
自分はどう思うか、ということだけにフォーカスしていたら、
周りは気にならなくなって、どうでもよくなる、自分が感じることだけがすべて、になったら、
楽なんじゃないかな、って思う。

そんなことに気づいたら、ほっとしたし、
これからまた私の人生が変化していく、と全身でわかっているのか、
涙で震えた。

そうして空を見上げたら、曇り空だけれど、神々しく、

YES!

と答えてくれているようだった。

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絶望的な出来事は、いろんなことを気づかせてくれるチャンスだし、
自分が本当はどうしたいのか、を考えるきっかけにもなる。

だからそういう出来事に対して、自然と、

ありがとう

って思える。




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