少しずつ少しずつ内側の世界を楽しむことから、外側へも目が向いてきています。

それは本当に不思議で、
「そろそろ外側に目を向けないと、まずいんじゃない?」
「いい加減、動こうよ」
って焦ったり、無理に動こうとしなくても、自然とそろそろ動いてもいいかな、って
思えるときが来るんですよね。

だから本当に、自分の心と体を信頼して、流れに任せていけばいいんだなって思います。

とは言っても、また最近、とても眠くて眠くて、朝全然起きれません。
ネコたちは、朝おなかがすいても、そんな私を寝かせておいてくれます。
よくできたネコたちです。

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かわいすぎるさくら


今日は大きな気づきがあったので、眠かったけれど書いていたら、
覚めてきた


私ね、ずっとずっと、大勢の人の中にいて、聞こえなくて話がわからないのがつらかったの。

だから人が集まるところに行っても、やっぱり話がわからなかった、って
悲しくなったり、周りの人がなかなか配慮してくれないことにも腹が立って、
「なんでみんなわかってくれないんだろう」って悲しみと怒りがあった。

みんなと一緒に会話を楽しみたいのに、それができない、
私って損、聞こえないって損、
みんなと同じようにできないのは、だめ、
私だけいつも仲間はずれ・・・

ってそんなふうに思っていたの。

一番大きいのは、わかってもらえない ってこと、それがとてもつらかった。

そういう気持ちをずっとずっと長い間持ち続けていて、
周りの人にそれを伝えたり、あるときは感情をあらわにすることもあったし、
そういうことをする中で、少しずつ折り合いもつくようになってきていた。
あきらめ、そんな気持ちもあった。

聞こえなくなってから、15年くらいたって、聞こえないことに、少しずつ慣れてきてはいたと思う。

でもこの前、あるヒーラーさんのところに行って、セッションしてもらったとき、
「聞こえない」話をしたときに、話をしながら泣けてきてしまって、
まだまだ受け入れていないんだなってわかったの。

そのヒーラーさんは、私にこんなことを言ってくれた。

「大人の中にいる子どもみたいなものだよね。子どもは大人の中にいて、
何を話しているのかわからない、自分に興味のないことを話していたら、
おとなしくそこにはいなくて、自分の好きなことを始めたり、そこから離れて遊びに行くよね。
あなただってそれでいいんじゃない?
話がわからないんだったら、そこから離れたっていいんだよ」って。

「私は、一人って嫌いじゃないの。
人といると楽しいけれど、人にエネルギー取られてしまうこともあるから、
自分のエネルギーとつながっていられる一人はとても心地いいの。
それに一人でいたって一人じゃない、周りには目に見えない存在がいるよ」

それを聞いて、深いところから納得できた。

前から、みんなの話がわからないなら、先に帰ればいい、って思って、
そうしていたこともあったけれど、そのときって、すごく寂しかった。
みんなは会話を楽しんでる、なのに、私は話がわからないから一人帰ってこなくちゃいけない、
なんで私だけ?なんで私はみんなと一緒に楽しめないの!?ってすごくつらかった。
だから一生懸命、周りの人に私にもわかるように話してって、ときには泣きながら、
怒りながら伝えた。

それでも話がわからないこともあって、初対面の人たちになかなか私にわかるように
話してもらうことは難しいし、やっぱり私だけなんでこんな思いしなくちゃいけないの、
って思ってた。

それが、そのヒーラーさんに言われたとき、
「子どももそうだよね」って言われて、私は子どもでいいのか、と思えて、
そして、「みんなと一緒に」って思わなくてもいいんだ、と思えたの。

聞こえる人たちは、話が普通に聞こえるから、誰かが話していれば、それに耳を傾けるけれど、
私はそれができないのだから、無理して聞かなくてもいいんじゃない?
誰かが話しているとき、それがわからなければ、聞いてるふりしないで
そこから抜けて、自分の好きなことしていてもいいんじゃない?
それが私なんじゃないの?
みんなと一緒じゃなくてもいいんじゃないの?
それが「わたし」っていう個性を大切にするってことなんじゃないの?

「みんなと一緒」ということよりも、「私らしさ」を大切にしていくことが大事じゃないの?

って思えた。

そしてね、内側に籠っていたとき、私の部屋、大きな窓がある部屋からは
外の景色がよく見えて、森も空も太陽も雲もいつも見えて、
そしていつもネコもぴったりと私にくっついていて、
そういう存在にとても助けられていたんだ、って気づいた。

私は一人じゃないって思えた。


それが今だから、理解できるようになってきたんだと思う。

内側を見つめること、自分を大切にすることをしてきたから、
そのヒーラーさんの言うことが深いところから理解できた。

前だったら、「子どもと同じ」って言われても、「私は子どもじゃないし、
みんなと一緒にできないことがすごくつらい」ってことに執着しちゃっていたと思う。

私は聞こえないから、「みんなと一緒にできること」がすごく大事で、
「そうなれるようにがんばらなくちゃ、でもできなくてつらい」って思っていたんだな・・・

がんばればなんとかなる、でもがんばってもがんばってもどうにもならない、
よくなっていかない、ってこともつらかったんだ。

こんなにがんばっているのに、よくならない、だから、こんな自分はだめだし、
周りにも「こんなにがんばってるのに、なんでわかってくれないの!」って思ってたんだなぁ・・・

でもやっと、みんなと同じようにできなくても、できないところがあっても、それでよくて、
みんなと一緒じゃなくていいって思えるようになってきたんだ。

そんなことが思えるようになってきたところに、ある食事会に参加して、
話はあまりわからなかったけれど、いつものようにつらくなることはなくて、
「ま、いいか」と思えた。
そのときに話されている話がほとんどわからなくても、別にどうってことないんだなって思った。
(もちろん、時々書いてもらったり、私にわかりやすく話してもらう配慮もしてもらえたけれど、
 それでもほとんどわからないことが多かった)

そして、話のわからない私だけれど、そこにいたみんなは、私のこと好きなんだな~、って
勝手に思ったら(そんな感じが伝わって)、楽しくなってきた。

きっと、みんなと同じように話を楽しめない私なんて、好きになってもらえない、って
いうことも思っていたみたい。
だから、このとき、「なんだ、私が聞こえる聞こえないにかかわらず、みんなは私のこと好きなんだ」
って勝手に思ったら、楽しくなったんだ。

そして帰りの電車で、「なんか、楽しかったな」なんて思えて、
話があんまりわからなかったのに、「楽しかった」なんて思ったのは、初めてかも、
って自分でもびっくりだった。


そして今日、そのことを思い出したりしていたら、
ふいに、

私はこの体に生まれてきてよかった!

私はこの体に生まれてきてよかった!!

私はこの体に生まれてきてよかった!!!


って気持ちが湧き上がってきて、号泣した。

自分で自分のことを、受け入れられた瞬間だった。


それで思ったんだよ。

障がいとか、マイノリティとか、物理的に、社会的に、外側に制限があると、
どうしても、行動にも制限がかけられてしまう。
例えば、聞こえないと、ここに書いたように、みんなと話が楽しめない、とか
歩けない人だと、一人で遠くへ行けない、とか・・・

でも外側に制限があるからこそ、その制限を外そうともがく、苦しむ、なんとかしようとする・・・
それを外側のせいにしないで、社会のせいにしないで、自分の内側をとことん見つめる、
傷はどこから来ているのか、自分の闇を見る、そしてそれでもいいって、どんな自分でもいい、
ってOKを出してあげる、自分を愛してあげる・・・

それができたら、外側にどんな制限があっても、心は自由になっていき、
心が自由になったら、逆に、外側に制限はなくなる。

だから制限は、自分で作り出している、ってことなんだ。

「周りに理解してもらえない」っていうなら、「自分で自分を理解しな」ってことなんだよね。


外側に制限がどんなにあったって、心は自由。

それが本当の自由、なのかもしれないね。







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