八ヶ岳でベリーダンス はとっても楽しく素晴らしい経験だった。

でも聞こえない私は、ただ単に「楽しかった!」「素晴らしかった!」と終われない。

聞こえなくなって15年経つけれど、いまだに「聞こえないからどうしよう?」って
心配になったり、不安になったりすることがいっぱいある。

聞こえないという障害は、一人でいるときは全く支障がない。

もし出会う人がみんな手話を使えたり、聞こえない人にもわかりやすく話してくれる人ばかりなら、
支障がない。

ネコと一緒に暮らしていても、まったく支障がない。

でも、初めての場所で、初めて会う人ばかりで、たくさんの人がいるところでは、
いまだに不安になるし、その場にいることがいたたまれなくなることもある。

ダンスを踊るのに、音楽が聞こえないことはそんなに大した問題じゃないんだよ。
いつもつらいと思ってしまうのは、人との関係の中でのこと。

これはどんなにどんなに自分を癒しても、楽になることはないように感じる。

もちろん、こういうのは、初めての場所や人に会うのが苦手っていう人はたくさんいて、
私だけじゃない。

でも私は、本当はとっても社交的で、人に出会うのも、話すのも大好きなのに、
「聞こえない」からそれができないことが悲しいんだな、きっと。

もちろん、15年の中でかなり変化してきてる、楽になってきてる。

でもやっぱり、初めての場所や、そこでたくさんの人に出会うこと、
そこでみんなの話がわからずに孤独になることが、とても怖くて悲しい、と
思うのも事実で、それは隠せないこと。


私はこんなふうに思ってしまうことがある。

人は人生の中で、いろんな出来事に出会う。
想像も絶するような大変なことに出会ったり、死に直面するような事故や病気を経験したり、
そういうことは誰にでも起こること。

でもそういう人たちは、それを克服すれば、「ああいう大変なこともあったけれど、
今はそれを乗り越えたから、幸せだ、よかった」と思えるんじゃないか。

でも私は15年の間、一生懸命克服しよう、受け入れよう、と一生懸命にやってきた、
それなのに、新しい場所、新しい人に出会えば、いつも怖い、不安、と思わなければならない、

いったいいつまでこんなことを続けるんだろう、私は・・・
いつまでこんな思いをしなくちゃいけないんだろう・・・


周りの人たちはわかってくれない!

わかってくれるために、努力をしなくては!

聞こえなくて話がわからなくても平気でいられるように、心の傷を癒さなければ!


っていつまでも思っていたくない。


わかる人が少しでもいてくれたらそれでいいし、わかってくれる人と一緒にいよう

というのもなんか違う。


もうね、このことで悩んだり、くよくよしたり、怖くなったり、不安になったりするのに飽きたの!

もういい加減、このことから解放されたい。


このことから解放されるには、自分の傷を癒す、インナーチャイルドを癒す、
そういうことが必要だと思っていたけれど、もうそんなことじゃ解放されないんじゃないか、
って思えてきて、そんなときに救いになったのは、

ノンデュアリティ(非2元)のメッセージだった。

私はいない、全体しかない

というよくわからないメッセージ。

実際には、「私はいない」というのは、私が存在していないとういうのではなく、
私の中にある、「私」という感覚が幻想だってこと。

すべては一つのエネルギーが形を変えて現れたもので、この世にあるものすべては、
同じ一つの生命エネルギー。

これもよくわからない、よね。

頭で理解するものではなくて、体験するものだから、これだけ書いてもわからないと思うし、
私も体験しているわけじゃないから、自分の言葉で書けない。

それでもなぜかこのメッセージに惹かれて、
一時期、このノンデュアリティ(非2元)の本をたくさん読んだ。

一番始めに出会ったのが、大和田菜穂さんの本、

「すでに愛の中にある~個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる」

わけわからないのに、何度も何度も読み返し、感覚で感動していた。


51LboUjtssL__SX339_BO1,204,203,200_


そして阿部敏郎さんのブログ、リーラ は、大和田さんのメッセージをもっと
わかりやすく解説してくれているので、たまに読んでいて(なんとなくわかった気になってる)

そんな中でわかりやすかったのは、
赤ちゃんは、「自分」という観念がない、それが私たち本来の姿、という言葉。

確かに赤ちゃんは、泣きたいときに泣き、笑いたい時に笑い、
興味があるほうにただ向かい、おなかがすいたり、おむつがぬれたらぐずって・・・
そこには「私はこうしている」という「私」はないんじゃないかと思う。
ただその行為であり、感情であるだけ。
それが全体なんじゃないかなって思った。

聞こえないことから、突然ノンデュアリティに話が飛んでしまったけれど、
そのベリーダンスのWSでは、そんなふうに「赤ちゃん」になろうと思った。

いつもだったら、「私は聞こえないことで話がわからなくてつらい」、って思ってしまうけれど、
ただ「聞こえない」という状態があるだけ、そういう状態を客観的に観察している感じでいたら、
「つらい」という気持ちにはならなかったし、自分以外の人たちのこともなんだか、いつもと違って見えた。
大きな一つの輪の中で、みんなそういうストーリーを演じている、そんなふうに見えた。

自分に起こる望ましくないできごとに、悲観したり、苦しくなったりするのは、
それが自分に起こっている、と思うから。
そういうストーリーの流れなんだ、と思うと、どっぷりとその出来事に翻弄されずに
いられて苦しみがなくなるんじゃないか、と思った。

このことは、まだまだ自分の中できちんとわかっていないから、
おかしなことを言っているのかもしれないけれど、その時々の気づきを書いていけたら、って思う。

「楽しい!」「素晴らしい!」だけで終われない私。
深刻すぎちゃうのかな・・・、そうなりたいわけじゃないんだけれど・・・
でも気づきが起こるのは素晴らしいことだし、こんなにいろんなこと感じられるのだから、
ただ生きてるだけでいいね!って思う。
生きることが私の仕事かもしれないから、この人生で起こるストーリーを
思い切り楽しんじゃおう、やりたいこと、好きなことを思いっきりやろう!とも思えた。


私は今までの過去生で、何度も体に不具合、障害のある人生を歩んできたらしい。

今回こそ、体の障害から来る苦悩を解放するときなのかもしれない。
だから、苦悩から解き放たれるための、真理を追求したい、探究したいのだと思う。






魔女の自然とつながる学校

自然とつながる学校のページ
 
個人セッションのページ

魔女のリーディングレッスン



☆クリックお願いします☆

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村