ついこの間、この記事 で、
近所の人にあまりよく思われてない
って書いたんだけれど、

逆に、なぜかしら気にかけてくれる人もいて、
それが通りすがりの人に多くて、
薪になる丸太を持ってきてくれる、同じ町内の建設会社の社長さんもその一人。

持ってきてくれた丸太をなかなか処理できないでいたら、
薪割りをしてくれる人を紹介してくれた。

それがこのときのこと。

昨日だったかな、そのおじいちゃんがまた来てくれて、
何かなぁ?と思ってたら、

社長が、薪を積んだその上に、濡れないように、ブルーシートを
載せておいたほうがいい、と言ってくれたらしく、
そのおじいちゃんは、実際に作業に来てくれた。

いろいろ気にかけてくれて、ありがたいな、って思う。

なんだけれど、そのおじいちゃんが言っていることがなかなか聞き取れない。

社長

濡れる
ブルーシート
半分
はさみで切って

など単語を何度か聞き直してやっと聞き取る。

社長さんが、薪がこのままだと雨に濡れるから、
ブルーシートをかけたほうがいいと言ってるから、(自分が)来た。

(使い古しの)ブルーシートがあるから、それを半分にはさみで切って、
載せればいいだろう

と、聞き取った単語をすばやく組み立て、想像して、会話する。

うちに突然やってくる見知らぬ人もいて、
(もの珍しいのかな)
みんなそんな感じで、単語を聞き取って、想像しながらの会話。

そんなふうに、聴覚だけでなくて、ほかのすべての感覚を駆使して
コミュニケーションする。

聞こえなくなった当時は、相手の言っていることがわからなくて、
つらくて、怖くて、
誰も私に話しかけないで!
って、閉じこもった。

なのに、今は初対面の人でも気軽にコミュニケーションが取れる。
音声として聞こえないことは変わらないし、口元を読み取ることだって、
そんなに上手なわけじゃない。
特に地元の人の(年配の方の)なまった話はほとんどわからない。

だけれども、田舎に来て、人と必然的に多くかかわることになったから、
つらいよ~
怖いよ~
って言ってられなくて、多少わからなくてもいいから、
人と関わることを避けないようになったんだよね。

聞こえない障害は、コミュニケーション障害だと言われるけれど、
そうではないなぁ、と最近思う。

このことは、また別の機会に書こうと思う。

そういうわけで、私、よくやっているなぁ、って思うのよ。

たまには、そんなふうに自分のこと、ほめてあげることも大事だよね(*^-^*)