お米作りを始めて5年目、田んぼの作業からいろんなことを気づかせてもらい、
学んでいます。

今年はベリーダンスを習い始めたのをきっかけに、
田植えのときに奉納舞したい、と、田んぼで友達と奉納舞をしました。

S__4628572

5月の奉納舞。


そして先日は、麻賀多神社の神楽殿で奉納舞をさせてもらいました。
一般人が神楽殿で奉納舞をするなんて、今までなかったことだそうです。

IMG_5381

麻賀多神社での奉納舞。

麻賀多神社の御祭神は、和久産巣日神(わくむすびのかみ)
伊勢神宮、外宮の主祭神、豊受媛神が祖神。
食べ物の神様なんですね。
お米作りをしている私に、ご縁が深い神様なんだなぁと思いました。
そのご縁が、神楽殿での奉納舞の機会を運んできてくれたのかもしれません。
この神楽殿で踊った時、波動が高くなり、涙が出てきて、
神様に近づいたような気がしました。

そして麻賀多神社の中にある、天日津久神社でお参りしていた時に、
龍神様とつながりました。
天日津久神社はひふみ神示がおろされた場所です。

そしてこの前、霧雨が降っていた日に稲刈りをしていたとき、
龍神様に稲刈りが終わるまで、ひどい雨にならないようにお願いしていました。

そういう経験、お米作りを通して、神様に近づいたような気がしたんです。

そしてあるとき、ふと思いました。

今までお米作りを通して、自然と寄り添うこと、自然に沿って生きることを学んだけれど、
今年は奉納舞を通して、神様に近づいたような気がした、

自然に寄り添い、自然を敬い、命の糧となるお米つくりをする中で、
神様への祈りと感謝をこめて踊る・・・

それって、私が本当にしたいことだ、
こういう暮らし、生き方を望んでいたんだ、


って思ったんだけれど、同時に、

???
でもそんなこと、望んだことがあったっけ?


とも思いました。

お米作りもたまたま始めて、踊りも最初はベリーダンスを習って、
奉納舞をしたい、と思ったのも、ベリーダンスを習ったからで、
最初から奉納舞をすることを望んでなどいなかった・・・


でも今それが私の望みだったと、深いところで湧き上がってくる、

それは魂の望みなのかもしれない。



そんなふうに、数日考えていたら、またふと、

あれ、何かもっと大切なことを思い出しそう!!!

って思っていたら、思い出したんです。


過去生で巫女をしていたとき、こうやって、神様の前で踊っていたことを。

巫女姿が浮かんできて、鈴を鳴らしている・・・
そんな情景が浮かんできました。

それを思い出したら、涙が出てきました。


その鈴、でまた思い出したのが、ずっと前、もう10年くらい前に、
過去生リーディングをしてもらったときのこと。

そのときはまだ自分で見ることはできなくて、人に見てもらっていました。

聞こえなくなった理由を、過去生リーディングで見てもらったんですが、
かなり前のブログに書いたので、それを抜粋します。


過去生の私は古代日本、まだ卑弥呼が現れる前の時代に巫女として神に仕え、
そのおつげ(託宣)を人につたえていました。
すぐれたサイキック能力を持っていてとてもあがめられていましたが、
同時にとても危険な立場にいました。

というのは、命をねらわれていたわけではないのですが、
誘拐の危険に常に狙われていました。
つまり他の部族がこの有能な巫女をさらって
自分のところに連れていって、
託宣をもらって自分たちの部族が繁栄をするようにしてもらおうと、
いつも虎視眈々と狙われている立場にありました。
なので、警備は厳重でした。

私はその警護団の中の一人の若者に恋をしました。
でも巫女という立場から話しかけることはできません。
ある日、この若い護衛の前を通るときに我慢ができなくなりました。
自分がそこを通るときは目下の護衛たちは
平伏して顔をあげないのですが、
その自分の好きな若者に向かって持っている鈴を振ってみました。
若者は鈴の音に驚いてはっと顔を上げました。
巫女はそんな形でも近くで若者の顔を見ることができて、
心の中でとても喜びました。

そして、これからこの若者の顔を見たいときは
そばを歩くたびに鈴を鳴らしてみたり、それでも驚かなくなると、
今度は自分の持っていたその鈴を手から取りこぼして、
拾ってこさせたりと、あの手、この手を使って
なんとかこの若者の顔見たい、話をさせてみたいと画策して
切ない自分の心をなぐさめていました。

こんなことを繰り返していると、
そばにいる人には変だと思われてしますよね~。
恋をした女性がなぜ霊力を失うといわれていたのかは、
そんな部分にあるかもしれません。
好きな男性のこと以外、目に入らなくなってしますから

そして、このことは大問題になり、
巫女の心を惑わしているとのことで、
この若者は護衛の職から解かれてしまいました。
たぶん、もう2度と会うことはありませんでした。
この後は、もう巫女も2度と人を好きになることはなく、
このまま神に仕えて一生を終えたようでした。
たぶん、このときの恋は深く自分の心に閉ざしたまま・・・。

この巫女さんからのメッセージです。

「私は自由に恋愛もできないこの立場から、
2000年もの間、様ざまな人生を経験し、それを楽しみました。
今、私にはこの過去世を思い出す準備ができたので、
ここにこの封印を解くとこととします。

私の聴覚障害はブロックでも、戒めでもなく、
この時の過去世を思い出すためのひとつの指針のようなものです。
私のサイキックはあなたにも受け継がれています。
それを思い出すために、この過去世の封印を解く必要があるのです。
私が大きく広がっていくための鍵なのです。
よく、ここまでやってきました。よくぞ、ここまで到達しましたね。」

この過去世での出来事は、今生の私ににとって、
封印を解く鍵であることです。
この過去世じたいが、到達するための鍵であったということです。
この過去世では2つのことがテーマになっていました。

1つは巫女さんは不特定多数と会話するのを禁じられていたこと、
2つ目は鈴、音のするものによって、
自分の好きな若者に注目させようとしたことです。
耳と口からの情報を閉じるということによって、
この過去世からの暗号を保存し、
それを解くためのきっかけとしたのです。



このリーディングをしてもらったのは、もう10年以上前のことで、
そのときもかなり心に響いたのですが、でもこのときはまだ頭でそうなんだ、と
わかっただけだったんですね。

今回は深いところから、この巫女さんの過去生を思い出し、
私がお米作りを通して、神様と近づいている理由がわかったのです。

神様と近づいている、ということは、自分の中に神様がいる、
自分の中の神性さとつながった、という意味でもあります。


~長くなったので、次に続きます~


これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。