生き方を変えるのではなく、あり方を変える② の続きです。
起きることしか起こらない
このことが、私に一筋の光を射してくれました。
起きることしか起こらないのだから、じたばたせずにゆだねよう。
起きていることは、私が本当の私に戻るためのもの。
感謝して受け入れよう。
その積み重ねが、今どんな状態だったとしても、
幸せ、と思えるようになったのです。
それを裏付ける体験がありました。
少し前のこと、宿泊でうちにたくさんのお客さんがやってきました。
夕食、みんなお酒も入って、上機嫌。
おしゃべりも弾んでいます。
私はいつものように、話がわからなくなり、普段飲まないお酒も飲んで、
頭がくらくら・・・
いつもだったら、私も仲間に入りたいな、と思って、
周りの人に、私にもわかりやすく話して、と頼んだり、
隣の人に今何を話しているの?と聞いたりするのですが、
酔いが回って、それよりも休みたくて、みんながいるところから
少し離れて休んでいました。
そしてみんなの様子を見ながら、自分の気持ちを観察していたんです。
みんな、楽しそうだなぁ。
私はやっぱりみんなの話がわからない。
聞こえないからわからないんだなぁ。
以上。
だったんです。
いつもはそこに、
みんなの話がわからなくて、さみしいよ~、つらいよ~
なんで私にもわかるように話してくれないんだろう、
みんなひどい!
って気持ちが入って、一人で嫌な気持ちになって、
疎外感を感じていました。
でもそのときは、
みんなの話がわからない、以上。
だったんです。
やっぱり、そういう出来事があるってだけなのに、
そこに、いい悪い、を入れていたのは、思考だったし、
それが嫌な気分にさせていたんだ、って改めて思いました。
そして聞こえないと、余計にみんなが話していることが気になるものです。
かなり前になるけれど、私がまだ同じような聞こえない人との交流があったとき、
みんな会社などで、仕事の指示は筆談などでしてもらえるけれど、
雑談がまったくわからなくて、それが疎外感を感じてとてもつらい、って言っていました。
聞こえる人たちは、くだらないことだから、ってそこまで筆談してくれない、
でも聞こえない人たちは、くだらないことでも知りたい、って思う。
聞こえない人同士、そういうことも話したことがあったなぁと思い出したのですが、
今は、みんなが話していること、自分に必要ないこと、興味のないことだったら、
わからなくてもいいよねぇ、話に入らなくてもいいよねぇ
って思えます。
起きることしか起こらない、のだから、
私が聞く必要のあることは、きっとわかるだろうし、わからないってことは
聞く必要ないんだ、って思える。
たぶん、前は、みんなの話がわからないなんて、一緒に楽しめないなんて、
ダメな奴だ、なんていうことも思っていたんだな、って思います。
聞こえないからだめだ、って思ってたんだ、きっと。
聞こえないからわからない、以上!
にしておいて、そこに「聞こえないからだめだ」っていう判断を入れる必要は
ないんだよね。
そして、だめだって思わず、あきらめるの。
あきらめる、ってネガティブなことなんじゃないの?って言われたけれど、
あきらめるを漢字にすると、
明らめる
になる。
今の自分の状態を明らめる。
私は聞こえない、だからみんなの話がわからない、って。
それは現実を見ること、見てあげるっていうのは、自己愛になる。
そうした上で、じゃ自分はどうしたいの?と聞いてあげる。
みんなの話の中に入りたかったら、そうすればいいし、
入りたくなかったら、入らないでほかのことをしていたっていい。
そのときは、みんなの話に入るよりも、一人で自分の気持ちを観察したり、
ほかのことをしているほうがよかったから、自分がしたいと思うことをしてあげられた。
そんなふうに自分の気持ちをちゃんと感じて、明らめて、
自分がしたいようにすれば、そんなにこんがらがっちゃうことはないんだ。
だからそのときは、みんなが楽しい楽しい、と言っておしゃべりしている内容がわからなくても、
みんな楽しんでくれてよかった~(*^-^*)と心から思えた。
自分がしたいことをしているから、そう思えた。
前はみんなは楽しいかもしれないけれど、私はつまんないよ!
って思っていたんだよね。
自分がどうしたいかをちゃんとわかってあげなかったから。
で、みんなが泊りにくるのをうれしい反面、きっと話がわからなくて、
つまらない思いをする、疎外感を感じるんだろうな・・・って思ってた。
そう思いながら、宿泊を受け入れてた。
でも今は、どんなことになってもいいから、起こることしか起こらないんだから、
みんなに来てもらうことを心から喜べるようになってきた。
起こることしか起こらない、ということを理解し、
聞こえなくて、みんなと話ができない自分はだめだ、って思っているんだ、
ってただそのまま見てあげた、
疎外感を感じて、さみしい、つらい、気持ちを感じてあげた、
闇を見つめ、そういう自分を愛した。
そしてどうしたいの?と自分の希望を聞いてあげた。
私は、ダウンシフトとか、自然の中で暮らす、とか、自給自足とか、
そういう暮らし方、生き方を変えても本当に心から幸せと思えなかった。
もちろんそれで、前よりはずっと楽しく暮らすことはできてる。
幸せって思えることも増えた。
でも、本当に心から幸せと思えたのは、
起きることしか起きていなくて、どんな状態であったとしても幸せなんだ、と
あり方を変えたときだった。
生き方を変えて、心から幸せって思えるならそれでいい。
生き方を変えても、幸せを感じられないとき、
生き方を変えるのが、怖いと思うとき、
そんなときは、あり方を変えるチャンスです(*^-^*)
余談ですが・・・
先日、ある方と出会いました。
お酒が入ると、今までおだやかだったのが、
だんだんと世の中への不平不満をぶちまけ始めました。
ああ、この人は、本当は自分が○○だから、
つらい思いをしたことがあるんだろう、
悔しい思いをしたことがあるんだろう、
それを外側のこと、例えば仕事などに打ち込むことで
紛らわせてきたんだなぁ・・・
自分の本当の気持ちを感じないで、ふたをしてきてしまったんだなぁ・・・
自分のだめなところ(闇)を見るのがつらいんだなぁ・・・
怖いんだなぁ・・・
今の社会は、こういう人が多いんじゃないかなと思う。
自分の気持ちをちゃんと感じてあげなくて、ふたをしているから、
普段はおだやかでいい人だけれど、お酒を飲んだり、
何かがあったときに、それが不満となって爆発する。
それはそのときだけの、その人の問題だと思うかもしれないけれど、
実は違うよね。
世界はつながっているのだから、その人だけの問題じゃなくて、
みんなの問題なんだ。
その人が不平不満を世の中に吐き出すことで、
世の中は不平不満でいっぱいになる。
不平不満は、ためることで、どんどん膨れ上がる。
だから、ためないで、ちゃんとそれを感じてあげよう。
感じてあげれば、手放せる。
自分の中の闇を怖がらないで。
闇も避けることで、どんどんどんどん暗くなり、手が付けられないようになる。
見てあげれば、愛に変わる。
みんなが自分の気持ちを感じることを怖がらず、自分の闇も愛して、
本当の自分を思い出して生きる世の中になりますように♪
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