先日、前からお世話になっているヒーラーさんの自宅で、
「シータヒーリング体験会」と「ヘナアートヒーリング」のイベントがあったので、
稲毛まで行ってきました。

シータヒーリングを受けるのは初めて。
本は読んだことがあったので、どんなものかは少しはわかっていたけれどね。

久しぶりのヒーリングで、ワクワク~(*^-^*)

最初に「気になることは?」と聞かれ、
「もう一歩先に進みたいけれど、そのきっかけがなかなかつかめなくて・・・」
みたいなことを言ったと思うのですが、
そこから人との関係性のことに話は及んで、
今でも嫌な思いを持っている人の顔が浮かんできて、
その嫌な感情を感じていたのですが、

そうしていたら、

人を信じていないよね、と。

「過去に人に裏切られて、つらい思いをしたとかある?」

と聞かれて、

「人に裏切られた、と言われても、浮かんでこないけれど、
人にわかってもらえない、っていうのはよく思う」

って伝えると、

「人にわかってもらえない、っていう思いは、結構根強くあるね~」と
言われて、(そのとき抜いてもらった)

やっぱり、って思いました。

もうね、最初の、

人を信じていないよね

って言われた時点で、はいはい、やっぱりね、

私、実は人嫌いなんだよね・・・

すごく深いところにそれがあるんだよね、と思ってね。

それは、過去生で人との関わりが嫌になり、山奥で動物とだけ関わって生きていた、
と言われたこともあり、自覚はあって、でも今人といっぱい関わって、
うちに泊まりに来る人もいっぱいいて、それを喜んで受け入れているのにね・・・

それでもまだ、人を信じていない、って言われるんだよね。
それがあるんだよね。
やっぱり聞こえないのもあって、「どうせわかってもらえない」、
だから「人を信じない」ってつながっていくのだろうな。

以前だったら、
「まだ人を信じていない気持ちがあるんだ、まだなくならないんだ」
「どうしたら癒すことができるんだろう・・・」と
ちょっと落ち込むところが、今回は、ちょっと笑えてきた。

今人とこんなに関わって過ごしているのに、
それでも人を信じられない気持ちがある、って言われる、
もうこれ、なくならないんじゃない?
もうあってもいいんじゃない?
人を信じられない、人が嫌いなのが私なんだから、
それを受け入れようよ、って思えたの。

そして、人を信じられない、人が嫌いな私でもいいよ、
そうして生きて行こうよ、って思えた。

人を信じられても信じられなくても、どっちでもいいよ
人が好きでも嫌いでも、どっちでもいいよ
癒されても癒されなくても、どっちでもいいよ

もうどっちでもいい

って思えたんだけれど、それは

中庸 ってことなのかも。

そして、中庸=統合 なのかもしれないな、と思った。

人を信じることはいいこと、人を信じられないのは悪いこと、
そんな概念があるけれど、でも、本当は、いいも悪いもなくて、
ただ、人を信じる私と、人を信じられない私も、ただあるってだけ。
両方あるってだけ、どっちもあるってだけのことなんだよね。
陰陽、どちらもあるんだよね。

そのシータヒーリングの後に受けた、ヘナアートヒーリングでは、
私とつながって、視えたものを描いてくれる、とのことで、
「二つのものをつなげる」「六芒星のようなものが見えた」とのことだったんだけれど、
それはまさしく、シータヒーリングを受けて私が感じたこと。

そのシータヒーリングの直後には、中庸、統合、のことまで
思い及ばなかったんだけれど、あの時のことを思い出してこうして書いてみると、
シータヒーリングで感じたことが、ヘナアートヒーリングにもまさしくつながっていた。

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宇宙につながる、第8のチャクラのところに、
六芒星を花に見立てて描いてもらいました。

このあと、茶色のかさぶたみたいなのが取れて、
肌にオレンジ色よりもうちょっと暗い色に染まるんだけれど、
それがまた素敵で、本当に第8のチャクラがこの花のように開いて、
宇宙につかがるようで、神秘的で、神聖な気持ちになり、ちょっと泣けました。


私、久しぶりにヒーリングを受けて、リーディングもしてもらって、
やっぱり心の深いところを知ること、心の中を紐解いていくのがとっても楽しい!
って思ったの。

今回だと例えば、「これから先のこと」をテーマに話し始めたのに、
それが人との関係性につながり、そこから、「人を信じていない」ところにまで
たどり着いて、中庸=統合 のことまで、考えが及んだ。

そういったことが楽しくて、仕方がないの。

心の深いところ、闇を見るっていうことは、光を見出す作業でもあるんだよね。

陰極まって陽となす、だよね(*^-^*)