1月末くらいからかな、いろんな感情が大きく出てくることがありました。 
(文章だけだと重くなっちゃうかも?ネコの写真いれました(*^-^*))

怒りや悲しみ…
本当に感情が大きく揺れ動くことがありました。

理由はいろいろあるんだけれど、一つは、
私の「聞こえないこと」に関係します。

聞こえくなってから、20年ちょっと。
最初の全く受け入れられない、1年間死ぬことばっかり考えていて、
人と関わるのが怖くて、そのときも仕事をしていから、
「今日も聞こえなかった、わからなかった」と毎日泣いて落ち込んでいたときから、
聞こえない仲間に会って、少しずつ聞こえなくても生きる希望が湧いてきて、
徐々に徐々に聞こえない自分を受け入れるようになり、
この田舎暮らしをするようになってからは、特に、
いろんな人と関わることが増えて、人と関わることが楽しくなってきました。

コミュニケーションでいえば、1対1で話すときはたいてい大丈夫、
みんな顔を見て、私にわかりやすく話してくれるし、それで意思の疎通ができない、
ということはないです。

だからかな、私が普通に話すこともあって、
時々「まりりんが聞こえないということを忘れてしまう」と言われます。

それで困るのは、大人数で話すとき。
1対1では私が聞こえないってことを理解していても、
大人数になると、誰も私のほうを見て話してくれないってことが
時々あって、そうすると私はその中で話されている話が全くわからなくて、
以前は、自分でもホワイトボードを持って行ったり、
「今何を話しているの?」なんて話の途中を割って聞いたりしたこともあったけれど、
それでも毎回それをするのはんどくなってしまったのです。
それは私の努力不足なのかもしれません。

なので、そういうとき、しょうがいないよね、って思うようになっていたのです。
いつも私だけ話がわからなくてつらい、って自覚するのは、余計つらいので、
「しょうがない」ってことにして、無意識であまり感じないように
してしまったんだと思います。

でもあることをきっかけに
やっぱり私はそれをとてもさみしいと思っていて、
私だって、みんなと一緒に楽しく話す時間を楽しみたいって改めて思ったんです。

ここからは、私の悪いところが出てしまうんですが、
さみしい、悲しい、って思うと、必ず、

どうせ、みんなわかってくれない、
私だけひとりぼっちで、のけ者にされる

ってひねくれてしまうんです。
人への不信感が募ってしまうんです。

それはもう長い間、そう思うような体験をしてきたからなんだけれど、
実際にはそうじゃなかったかもしれない、
誰もそんなつもりじゃないかもしれないけれど、
勝手に私はそう思ってしまうです。

それで最近もそういうことでいろんな人を巻き込んでしまい、
嫌な気持ちにさせてしまったり、心配させてしまったり、
悩ませてしまいました。

でも今回は、そうなってしまったけれど、
自分の気持ちを素直に伝えたいと思いました。
どうしていつもそんなふうに思ってしまうのか、
どうしてもらったらいいのか、
それをあるとき、5.6人集まった時に話してみました。

そうしたら、みんなとても暖かく話を聞いてくれて、本当にうれしくて、
ひねくれて、どうせわかってくれない、人を信じられない、
という私のかたくなな心が溶けていきました。

私のこの「人を信じられない」っていう気持ち、
過去生からあるみたいなんですよね。
だからそういう根深いものが溶けていったような気がしました。

これからもコミュニケーションですれ違いがあるかもしれないけれど、
「どうせどうせ」とひねくれるのはやめよう、
話せばわかり合える、と信じていこうと思ったんです。

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貫禄たっぷりうめこ



そしてその後日、あることがひらめきました。

私はいつもコミュニケーションですれ違いがあると、
「どうせわかってもらえない」って
周りのせいにしていたんだけれど、
(もちろん自分でも理解してもらおうと努力はするからそう思うのですが)

もしかしたら、私は自分で自分を弱者にしていたのかもしれないって
思いついたんです。

私は聞こえなくて大変なんだから、周りの人たちがそれを配慮してくれるのが
当たり前でしょ!みたいな感じで。

だからそれをしてもらえないと、悲しいし、腹が立つしで、
感情も大きく揺れ動いて、どうしようもなくなってしまう。

どうして自分は弱者だと思うのか?と深く見つめていくと、
お金のこともあるかもしれない(障がい者年金をもらっていること)
と思いました。

今はそれであくせく働かなくても暮らしが成り立っていて、
とてもありがたいものなんですが、いろいろ思い出していくと、
保育士をやめるとき、

人事担当の人だったかな、
「これからあなたは障がい者年金がもらえますから…」と
年金の説明を受けて、やりがいのある仕事を失った代わりに、
お金をもらうことで生きて行くんだ、
もうそれしかないんだ、とそのときに思ってしまったのかもしれないです。
潜在意識にインプットされてしまったような感じ。

その後の仕事は障がい者枠(何人以上の社員を持つ会社はその社員の何%の障がい者を
入れなくてはいけないという法律がある)で会社に入り、
大企業の子会社だったから、障がい者の受け入れはとてもよかったけれど、
やりたい仕事でないストレスでやめることになり。

移住してから、まとまったお金がほしいと思ったときに、
1か月くらい週2、3回でアルバイトがしたいと思って、
まず、ハローワークに行ったら、週5日、半年は働かないといけないところしかない、
それじゃだめだから、普通の人材派遣会社に登録して、聴覚障害があると
伝えると、そういう環境が整っていないから、という理由でどこにも
紹介してもらえなかった、という経験があります。
別に接客とかを希望していたわけじゃなくて、コミュニケーションをあまり
必要としないような職を希望していたのにも関わらず、です。

普通の人はお店の張り紙などを見て、気楽に週1日とか働けるのに、
障がいがあるとそういった気楽に働くことができないのも事実です。

だから年金をもらうしかないんじゃないか、っていうことになってしまうのが、
自分を弱者に追い込んでいくことになるんじゃないかって。

障がいを持っている人にとって、自力で働けない、
働く場所が見つからない、という理由で、お金をいただけることは
とてもありがたいことだけれど、全然悪いことじゃないけれど、
でも本当にほしいのは、障がいを持っていてもそうでなくても、
自分がやりたいこと、したい仕事をする場所や機会を与えてもらえることで、
それを国に整備してもらいたいのに、それができないから、お金、
ということになるんですね。
それが自分たちは自分で好きなことができない、自分で働くことができない、
という弱者にしていってしまう悪循環なんじゃないかって。
そういう社会の構造になっているんじゃないかって。

私は今年金をもらいながら、自分の好きなことをする暮らしができているから、
それでいいって、自分のやりたいことを
「まあ、これくらいでしょ」ってセーブしていたかもしれません。

自分のやりたいことを思いっきりやってる?と聞かれたら、
そうではないと思います。

さっき、国に整備してもらいたいのに、って書いたけれど、
周りのせいにしていても、それを期待していても、何も変わっていかない。

まず自分の周りから、自分から変わっていかないといけないんだと思います。

もちろん保障してもらうことで、精神的な安心感はあります。
けれどそれで自分を弱者だと、誰かに何かに守ってもらわなきゃ生きて行けない、
そういうふうに思うのはよくないし、それで卑屈になる人間にはなりたくないし、
人間関係を壊すようじゃいけない。

私は都会じゃなく、この田舎ではやりたいこと、できることがいっぱい!

都会では自分でやりたいことでお金を稼ぐとか、
障がいを持つ私にとっては、考えられないことだったと思いますが、
ここは私のやりたいことが自然と生まれてくる場所。

田舎暮らし体験、
季節のものを使ってモノづくり
洋服づくり
リーディング
場を作ること
NPOの活動
etc

やりたいことの中に、初めて会う人とコミュニケーションを取らなくちゃ
いけないこともあって、すごく苦手なことなのに、それもやりたいと
思うなんて、不思議だけれど、聴覚障害だからコミュニケーションが苦手、
それを使う仕事はできない、なんて思い込みも外れます。

でもそれも雇われる仕事だったらできないかも、
自分でやろうと思うことだからできるし、その潜在的な可能性が出てくるんですね。

上に書いたやりたいこと、今までもやっていることだけれど、
まあこれくらいでしょ、って
思いっきり精一杯やっていなかったことが、自分を弱者にしていたんなら、
もうやれることできること思いっきりやって、
自分を弱者にしない!

そういう生き方にシフトしていきたいです。

そう思ったら新しいことを思いついたから、次のブログに書きます。

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いつかの雨の日「外に行けないにゃ~」

追伸

今思いついたけれど、障がい者だけじゃなくて、
普通の人も自分のやりたいことを思いっきりやってないから、
心がすさんじゃったり、それが原因で人間関係がこじれちゃったりすることも
あるのかもしれないって思いました。
思いっきりやれないことは、子どものころからの傷や思い込みだったりするけれど、

傷→やりたいことできない→コミュニケーションがこじれてまた新しい傷ができる
→ますますやりたいことできない

みたいな。

だからそういう人たちにも、
「どうせどうせ」っていう気持ちがあるんじゃないかって。

そこから飛び出るには、えいっと飛び出す勇気しかないですよね。
私もそこそこ楽しい暮らしをしていたから、それでいいと思っていたけれど、
でも時々起こるつらいことに振り回されて、自分も傷つくし、
他人を傷つけちゃうことだってある。
それをもうやめたいから、自分を弱者にしないって決めて、
勇気を出して飛び出そうと、やっと思えたのです。