の続きです。 

私は長年聞こえないことで、悩み苦しんできましたが、
それは”みんなの会話に入れないこと”で、
言ってみれば、人間関係です。

私に限らず、この社会で生きる私たちの悩みの多くは
人間関係だと思います。

わずらわしい人間関係、傷つけられる人間関係、
そういうものからはとっとと逃げ出したい。
そういうものに我慢しなくていい。

というのは本当だと思います。

でも、時にそういう関係性から、たくさんの気づきを得られることも
本当です。

私はある関係性を通して、自分の心と深く向き合い、
気づいたことがいくつかあります。

★今経験している、目の前に起こっているできごとは偶然ではない。

今経験していることは、目に見えること、見えないこと、
目に見える人、目に見えない人、たくさんの事柄、たくさんの人が
関わって、結びつき合って、そうなっている。

時々私たちは、行動した結果に対して、
ああすればよかった、こうすればよかったと後悔したり、
罪悪感を持ったりするけれど、どんなことも自分一人の力で
そうなっているのではないのだから、悔やんでも仕方がない。
誰かを傷つけてしまったときには、”ごめんなさい”と謝るのは当然のことだけれど、
それをいつまでも引きずる必要はない。

私たちは自分一人の力で何かをしているのはなく、
大いなる存在のもとでさせられているに過ぎない。

そう思うと、未来は決まっていて、
だから今そういう行動を取っているのかもしれないって思う。

自分で決めている、自分で選んでいる、と思っていることさえも、
大いなる流れに乗っているだけなのかもしれない。

自分で決められないなんて、自分で選べないなんて、
そんなのつまらないし、コントロールされているようだ、
と思う人もいるかもしれないけれど、
私はいつもゴールを決めないけれど、自然と自分がやりたいと思うことが、
強く思わなくてもポンポンでてきて、
それをやっているだけだなぁと思うと、
つまらないとか、コントロールされているとは思わない。
やりたいことが自然と出てくることは、とても楽しいことだと思う♡

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最近作ったお気に入り♪ノースリーブのカシュクールワンピース

★相手の言動で、嫌な気持ちになったり、傷ついたりするのは、
 もともと自分の中に反応する何かがあるから。

人に何か嫌なことを言われた、嫌なことをされたと傷つく。
そして相手はなんて嫌な人だろう、もうあの人とは付き合いたくない、
と思ってしまうことがある。

もちろんすべてそう当てはまらないかもしれないし、
相手が嫌な人だと済まして、近づかないようにすることもいいと思う。

でもそうできない、そうしたくない関係性の場合は、
いつも相手を非難していたり、相手のせいにしていても、
その関係性で、何も解決はしないし、時間が経つにつれて、
どんどん関係性は悪くなってしまう。

そうではなくて、自分の中にこんな思い込みがあったから、
相手がしてくる、言ってくることが、悲しかったり、腹がたったりしていたんだ、
ということに気づくと、相手の言動が嫌ではなくなることがある。

※ それでもまずは相手の言動で嫌な思いをしたり、傷ついたり、腹がたったりしたら、
  とりあえず、その感情を感じることは大事。
  相手にも伝えられたら、自分はこう感じたと言ったほうがいいと思う。
  それから自分と向き合うのでも遅くない。
  全部自分で抱え込まないことは大事だと思う。

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祝福の虹♡

★ 相手は鏡。
  相手が言ってくること、相手に言いたいことは、自分が自分に伝えたいこと
  本当に自分がしたいことがわかってくる

私はあるとき、”ボウリングフォーコロンバイン”という
アメリカの社会派、マイケルムーア監督の映画を見ていました。
ずいぶん前の映画で、コロンバイン高校で二人の生徒が学校で生徒や先生に向けて、
銃乱射事件を起こした時のドキュメンタリーです。

その映画は、高校の銃撃事件のことだけではなく、
アメリカの銃所持の問題や、
世界中で起きている、国同士の戦争、紛争、個人レベルでのいさかいなどで
人が人を銃で殺し合っている場面も触れています。

私はそれを見たときに、すごく大きく心が揺さぶられ、
「人が人を殺すなんておかしい」と改めて強く思いました。

それは誰しも思っていることだと思いますが、
でもなくならないこと。

ではどうしてなくならないかと言うと、
難しい要因はたくさんあって、私にはそう言ったことまで
わからないのですが、
私の中からふと出てきたのは、

みんな自由じゃない

っていうことでした。

みんな、ああしなければ、こうしなければ、という枠にはまっていて、
また人それぞれ、いろいろな考え方、生き方があることを
お互いに心から認め合うことができない。
自分は正しい、あいつは間違っている、とほとんどの人は思っている。
それなのに、自分が自分のした言動を恥じたり、認められなかったり、
要はありのままの自分を認められない、否定している。
だから、人を認められないんですけど。

それを私は、みんな自由じゃないんだ、と思ったんです。

そして私の中には、そういう世間一般の、常識とされている枠を外して、
自由に生きていきたい、という思いがあることに気づきました。

社会にはたくさんの「こうでなければ」とか「枠」があります。

人種、性別、障害、結婚制度、仕事、暮らし方、
生き方、お金、家、などなど、

もっとあるでしょうが、誰が決めたのかわからないけれど、
一定の常識があって、それから外れるのが怖くて、結局人目が怖くて、
本当に自分が望んでいることを隠したり、全く気付かないでいたり。

例えば、聞こえないことを何度も書きますが、
「聞こえない」という障がいにも、枠や世間一般の人の考える「こうでなければ」
があると思います。

障がい者は弱くて、庇護されるべきものだ、
そういう庇護されるようなものが偉そうなことを言うから、
あまり好かれないんだ

聞こえない人は、聞こえる人の中に入らずに、聞こえない人の中で過ごせばよい

(これらは実際に言われたことです)

私は今までも、世間一般の人の「聞こえない人はこうすべきだ」、という枠を
外して生きてきたんだと思います。

それを改めて思い、聞こえないことだけじゃなくて、
他の場面でも、私は枠を外して、自由に生きていこうと思いました。

私は自分の姿を見せながら、そういう人を増やしたい。
それは私の今生のミッションの一つでもあると思います。

※私、ずっと前から、南北戦争前後の黒人奴隷が出てくる映画が好きで、
 たくさん、同じものでも何度も見ちゃうんです。
 どうしてだろう?と思っていたけれど、
 それも自由にあこがれているからだとわかりました。

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イルカちゃんも自由♡

世間一般の人と違う生き方をするのは、怖いことでもあるから、
それに気づかずに、私もみんなと同じような生き方をしようとしていました。

でもそこから飛び出してもいいんだ、私が望んでいることは
そういうことだったんだ、と
人との関係性の中で知りました。
一人ではできなかったことだった。

そのうち、興味のある人、何人かで、自分の心と向き合うWS
やってみたいなぁ♡